【8月の日記】限界を受け入れ、「回復」を待つ
8月。うだるような暑さと、そこからくる心身の疲労と徹底的に向き合う1ヶ月となった。「完璧な練習」からは程遠かったけれど、それも含めて今の自分の現在地。
誇張せず、焦らず、今月マットの上と日常生活の中で感じたことを、等身大の言葉で書き残しておこうと思う。
1. 富士山の頂で知った、もう一つの身体
8月の上旬、富士山に登った。早朝から13時間、ひたすら一歩一歩頂上を目指して登り続ける過酷な時間。
毎日アシュタンガヨガで体力を鍛えている自負はあったけれど、登山で使う身体の力はまったくの別物だった。下山する頃には足がガクガクになり、高山病のような症状も出て、数日間は階段を降りるのさえ辛いほどの猛烈な筋肉痛に襲われた。
「ヨガをやっているから大丈夫」という、無意識のうちに膨らんでいた私の傲慢さを、富士山は静かに打ち砕いてくれた。自分の身体の限界を知る、謙虚なスタートとなった。
2. 終わらない暑さと、重たい身体の正体
富士山から戻って以降、8月中旬から下旬にかけて、どうにも身体が重く、エネルギーが出ない日々が続いた。 ジャンプバックで身体を持ち上げる力が落ち、喉のイガイガや風邪っぽさも重なって、練習中に息が切れてしまう。「加齢なのだろうか、それともスタミナ不足か」と、暗い思考が頭をよぎる日もあった。
客観的なデータを求めて、スマートウォッチ(Garmin)の3月から8月までの記録を分析してみた。すると、7月20日頃を明確な転換点として、睡眠時の心拍数の上昇や、Body Battery(エネルギー残量)の低下がはっきりと現れていた。
私の心肺機能が急激に落ちたわけではなく、**「連日の暑熱による睡眠・夜間回復の悪化」**が原因だったのだ。原因がわかると、心がふっと軽くなった。「もっと動かなければ」と焦るのではなく、今は身体の声に従って「回復を優先する」こと。それもまた、立派なヨガの実践なのだと受け入れることができた。
3. ポーズの葛藤と、微細なアプローチ
身体が重い中でも、マットの上では細かな試行錯誤を繰り返した。
- カポターサナとベルトの導入: 後屈の深まりに悩み、太ももにベルトを巻いて練習することを始めた。膝が外に広がるのを防ぎ、足の内側にしっかり力を入れる感覚を呼び覚ますためだ。劇的な変化はなくても、この微細な意識の積み重ねがいつか形になると信じている。
- ラグヴァジュラーサナの壁: 以前はできていたこのポーズで、最近どうしても起き上がれなくなってしまった。頭が床に着く瞬間に、どうしても力が抜けて頭に体重が乗ってしまう。常に足に重心を残し、足の力でコントロールし続けることの難しさを痛感している。
- 競争心というエゴ: 朝一番に練習に参加すると誇らしい気持ちになる一方で、数分遅れると「出遅れた」と焦る自分がいる。ヨガは競争ではないと頭では分かっていても、どうしても人と比べてしまう心の動き(エゴ)を、ただただ静かに観察した。
4. 伊豆の海と、いつものマット――「すみか」の再確認
8月後半には、1泊で伊豆へ旅行に出かけた。 旅行先でも「練習しなければ」という強迫観念に駆られそうになったけれど、今回はその頑ななマインドを一度手放してみることにした。LEDクラスをお休みし、自分のペースで、朝日に輝く伊豆の海を見ながら自主練習を行った。
素晴らしいロケーションだった。けれど同時に、**「環境は関係ない」**ということも深く腑に落ちた。 私が一番落ち着き、深く没入して練習できるのは、いつもの我が家、いつものマット、そして愛犬や愛猫がそばにいる、あの何気ない日常の空間なのだ。
この家も、伊豆の海も、実家も、すべては地球という一つの大きな「すみか」の中にある。どこにいても、私が「やる」と決めれば、そこが私のマイソールになる。
まとめ
8月は、寝坊してしまったり、体力が持たずにドロップバックをスキップしたりする日も多かった。 けれど、ヨガの練習はゼロサムゲームではない。どんなに身体が重くても、短い時間でも、その日できる精一杯でマットの上に立ち、呼吸を通せたなら、それで十分なのだ。