バガヴァッド・ギーターから学ぶ6つのヨガの種類

ヨガのゴールは一つでもゴールに至る道(ヨガの種類)はたくさんある

ヨガには様々な流派がありますが、今日私たちが実践しているヨガがどの流派に属するのか、そのルーツはどこにあるのでしょういか?このブログではヨガの種類の全体像を私自身の解釈も交えてシンプルな言葉で共有します。

ヨガを体系的に理解することで、自分に合ったヨガを生活に取り入れていくことができるようになります。

ヨガの6つの種類

現代において様々なヨガの流派やスタイルが存在します。今日のヨガの土台となったのは人類最古の書物であるヴェーダ聖典に由来する6つのタイプのヨガだと言われています。

その中でも、ハタヨガは、より肉体的なプラクティスやテクニックを重視するヨガスタイルであり、アシュタンガヨガ、アイアンガーヨガ、ヴィンヤサヨガ、パワーヨガなどとして馴染みがあるのではないでしょうか?それぞれのヨガの種類について詳しく見ていきましょう。

  • ジュニャーナ・ヨーガ
  • バクティ・ヨーガ
  • カルマ・ヨーガ
  • ラージャ・ヨーガ
  • ハタ・ヨーガ
  • マントラ・ヨーガ

ジュニャーナ・ヨーガ

ジュニャーナという言葉は「知る」という意味で、ブッディ・ヨガ(知性のヨガ)とも呼ばれます。最も直接的でありながら、非常に強い意思力と知性を必要とする最も困難な道だと考えられています。例えばハタヨガでは肉体の浄化や練習を積むことで、自己実現を目指します。それに対しジュニャーナ・ヨガでは、黙想によってのみ実践されます。ゴールまでの最短ルートでありながら最も険しい道ということです。

例えば、富士山の山頂へ到達するためのルートは複数ありますが、最短ルートである富士宮ルートが、最もハイリスクそして難易度も高くなるのと同様です。

ジュニャーナ・ヨーガの実践には3つの段階があると記されています。

  • シュラヴァナ(聴聞:聖典の言葉を聴くこと)
  • マナナ(思索:疑問を問いただしていくこと)
  • ニディディヤーサ(体得:聖典の言葉と今の自分の矛盾を埋めていくこと)

“実践者はまず、全てが実はブラフマン(意識)以外の何者でもないという輝かしい自己認識に到達している師の話に耳を傾ける。次に富や成功、楽しみ、名声、そして家族などに対する全ての欲望を放棄し、静かな場所に引きこもり、師の言葉について熟慮する。十分な熟慮の後、実践者は教えに隠された永遠の真実に気づき、その真実を永遠に体得するのである。アシュタンガ・ヨーガ インターミディエート・シリーズ グレゴールメーレ著

全ての欲望や、執着を手放した禁欲主義者や苦行者など、選ばれた人にのみ受け入れらる道であり、様々や役割と責任を持って現代社会に生きる私たちには簡単には実践できる道ではなさそうです。

バクティ・ヨーガ

バクティは神への信仰心と愛を意味します。献身、感情、愛、慈悲、神や他人にささげる奉仕のヨガとも呼ばれます。バクティヨガは神についての解釈を探し求めずに自分の中にある信愛を捧げるヨガです。神に身を捧げ、祈り、献身的に尽くし、崇拝することで神とつながり、最終的には神と神秘的な融合がもたらされると言われています。

”バクティ・ヨーガの大きなメリットの一つに、日常生活をほとんど変えずに続けられることが挙げられる。焦点を変えればいいだけである。バクティの道を選んだ人は、利益や勇気を得ようと毎日やっきになることがなくなる。その代わり、自分の行為を全て、その成果も含めて、自分が選んだ神のイメージに明け渡す、あるいは捧げるのである。アシュタンガ・ヨーガ インターミディエート・シリーズ グレゴールメーレ著

バガヴァッド・ギーターの12章の初めから終わりまで、この献身について記されています。その中で、善行者(devotees)を4つのタイプに分けています。(7章16節)

  • 悩める人
  • 知識を求める人
  • 利益を求める人
  • 知識ある人

常に満足し、自己を制御し、決意も堅く、私に心と知性を捧げ、私を信愛するヨーギン、彼は私にとって愛しい。

何事も期待せず、清浄で有能、中立を守り、動揺を離れ、全ての企図を捨て、私を信愛する人、彼は私にとって愛しい。

喜ばず、憎まず、悲しまず、望まず、好悪を捨て、信愛を抱く人、彼は私にとって愛しい。

敵と味方に対して平等であり、また尊敬と軽蔑に対しても平等であり、寒暑や苦楽に対しても平等であり、執着を離れた人。

毀誉褒貶を等しく見て、沈黙し、いかなるものにも満足し、住処なく、心が確定し、信愛に満ちた人、彼は私にとって愛しい。

バガヴァッド・ギーター12章14節、16節〜19節 上村勝彦訳 参照

カルマ・ヨーガ

カルマは行為・業という意味があります。ヴェーダ哲学の解釈では、カルマは行為と行為の結果の両方を意味します。カルマヨガとは、好き嫌いや自己本位な欲望を除いて義務(ダルマ)に従って行動する道、考えることによって実現へと向かう道を言います。自分の個人的な利益や見返りを考えることなく、行動の成果にとらわれることなく行動します。それによって自分のエゴを昇華させるヨガです。

マザー・テレサ、マハトマ・ガンディーはカルマ・ヨーギ(行為の人)として今日でも知られていますね。

バガヴァッド・ギーターの中でもカルマヨガについて述べられています。

“あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。行為の結果を同機としてはいけない。また無意に執着してはならぬ。

アルジュナよ、執着を捨て、成功と不成功を同一のものと見て、ヨーガに立脚して諸々の行為をせよ。ヨーガは平等(心の平静さ)の境地であると言われる。

実に一般の行為は、知性のヨーガよりもはるかに劣る。知性に拠り所を求めよ。結果を動機とするものは哀れである。

知性を備えた人は、この世で善業と悪業をともに捨てる。それゆえ、ヨーガを修めよ。ヨーガは諸行為における巧妙さである。

海に水が流れ込む時、海は満たされつつも不動の状態を保つ。同様に、あらゆる欲望が彼の中に入るが、彼は静寂に達する。欲望を求める者はそれに達しない。

全ての欲望を捨て、願望なく、「私のもの」という思いなく、我執なく行動すれば、その人は静寂に達する。

バガヴァッド・ギーター2章47〜50節、70節〜71節 上村勝彦訳 参照

カルマ・ヨーガを続けることで、調和の心が生まれます。自分の好き嫌いなどの感情に縛られれず、欲望にとらわれず、今の自分の状況を受け入れられる心の強さ、変化に対応することができる落ち着いた心を養うことができます。

ラージャ・ヨーガ

ラージャは王者を意味し、その道は王様の道とも言われます。

ラージャ・ヨーガの教えはパタンジャリ「ヨガ・スートラ」に記される八支則(アシュタンガ)をベースとしています。

八支則とは、最終的なゴールであるサマーディ(三昧)へ至るために、心と身体をコントロールするための8つのステップです。最初のステップである、ヤマ・ニヤマでは私たちの生活全般において行ってはならないこと、行うべき道徳・行動規範が示されています。

ヨガ・スートラでは、ヨガとは心の動きを静かに収めることと定義しています。心をコントロールするために、まずは行動規範を変え、アーサナやプラーナヤーマで身体を整えていく。安定して快適な姿勢で瞑想のポーズを保てるようになるための実践的な8ステップが八支則といえます。

ラージャ・ヨーガはハタ・ヨーガと比べるとより精神的なプラクティスを重視しています。

心をコントロールするための具体的な方法が、ヨガ・スートラでは非常に科学的、具体的に説明されています。瞑想というと漠然とした抽象的な、スピリチュアルなイメージを抱きがちですが、パタンジャリ先生は瞑想を心の科学として解き明かしてくれます。紀元後400−500年頃(日本で言う大和時代)にこのようなコンセプトが体系的にまとめられたと考えると、驚きです。

「ヨーガとは、考えの動きを静かに収めることです。心が静まる 時、人は変化を観る存在である自分の真実に至ります」

ヨガスートラ1章2節・3節

「アッビャーサ(繰り返しの練習)とヴァイラーギャ(離欲)によって苦悩の原因となるヴルッティ(考えの動き)は収める ことができます」 

ヨガスートラ1章12節 

ハタ・ヨーガ

ラージャ・ヨーガがより瞑想を通してサマーディ(三昧)の境地に至ることをゴールとしているのに対し、ハタ・ヨーガではよりアーサナや呼吸法など肉体的なテクニック、実践にフォーカスします。どちらも、瞑想をゴールとしているという点においては共通しています。ハタは、タントラの伝統に由来していて、「ハ」は太陽、「タ」は月を指し、太陽と月のように正反対のエネルギーを調和させるという意味があります。

ハタヨガには主に3つの経典があります。

  • ハタ・ヨガ・プラディーピカ(チャトランガ・四支則)
  • ゲーランダ・サンヒター(サプタンガ・七支則)
  • シヴァ・サンヒター
ハタ・ヨガ・プラディーピカの構成ゲーランダ・サンヒターの構成
アーサナクリヤー
プラーナヤーマアーサナ
ムドラームドラー
ラージャヨーガプラティヤハーラ

プラーナヤーマ

ディヤーナ

サマーディ

ヨガ・スートラで記される八支則では、ヤマ・ニマヤの行動規範が最初のステップとなっていましたね。ハタヨーガ・プラディーピカにおいては、アーサナ、呼吸法が一番最初に説明されます。ゲーランダ・サンヒターにおいては、より浄化法が重視されており、1章に浄化法(クリヤー)、2章からアーサナ、ムドラーと続きます。ハタ・ヨーガでは、まず身体を浄化し、アーサナと呼吸法の実践によって、瞑想に至るための安定した心と身体を整えるというステップになっています。

ラージャ・ヨーガとゴールは同じでも、そのアプローチの仕方は大きく異なります。

今日私たちが実践しているほとんどのヨガ・流派もこの伝統的なハタ・ヨーガに由来するものです。「アーサナ(ポーズ)を練習することは、瞑想に至るための準備段階」そんな風に解釈すると、ヨーガの奥深さを感じますね。

マントラ・ヨーガ

マントラとはヴェーダの聖典の言葉です。伝統的にはマントラの意味を知らなくても唱えることでマントラの恩恵を受け取ることができると言われています。誰にでもできる効果的なメディテーションとして、マントラを唱えることは、私たちの心に平和と調和(シャーンティ)をもたらしてくれます。

ヨガクラスでも、よくクラスの最初と最後に聖音OM(オーム)を唱えることがあります。オームとはブラフマンの音のシンボルです。たった一言で、宇宙に存在するもの全てを表し、想像・維持・破壊を繰り返すサイクルを表す言葉です。オームと唱えてからヨガの練習を始めることで、浄化され神聖なものになると言われています。

ヨガの種類・まとめ

  • 現代ヨガとして実践されているさまざまなタイプのヨガは、人類最古の書物であるヴェーダ聖典に由来する
  • 聖典「バガヴァッド・ギーター」では、3つのヨガの形が教えられている(ジュニャーナ、バクティ、カルマ)
  • ラージャ・ヨーガが精神的なプラクティスを重視するのに対し、ハタ・ヨーガでは肉体的なプラクティス、浄化を重視する
  • ラージャ・ヨーガもハタ・ヨーガも最終的に目指すゴールは同じ。山頂へ行くためのアプローチが異なるだけ

ヨガの種類の複雑さ、奥深さに圧倒されてしまいますね・・・ヨガの種類を学ぶことで、ピンときた教えはありましたか?

今の自分の年齢、体調、考え方に合ったヨガをチョイスしていけるといいですね。