グルとは何か。
ヨガの指導者とは、どのような役割を持つ存在なのか。
この問いに対して、正解を出そうとは思っていない。
今の自分の実感として、言葉にしてみたい。
かつての私は「伝えること」に執着していた
私はこれまで、地域でヨガを教えてきた。
ティーチャーズトレーニングも修了し、指導者としてクラスを持っていた。
当時の私は、とにかく「伝えること」に必死だった。
ヨガの学びが面白くて、知識が増えるほどに、その奥深さに惹かれていった。
そして同時に、その知識を全部伝えたい、証明したいという気持ちが強くなっていった。
結果として、クラスは詰め込み型になっていたと思う。
今振り返ると、それは
「こんなに知っている自分を見せたい」というエゴだった。
ヨガを伝えているつもりで、
実は自分のためのヨガになっていた。
指導から離れて見えたもの
去年の夏、ヨガとは別の仕事を始めたことをきっかけに、私は指導から離れた。
そして同時に、改めて「学ぶ側」に戻ることを選んだ。
この半年間、毎朝4時半から6時半まで、
アシュタンガヨガのオンラインクラスで練習を続けている。
これまでのように「教える立場」ではなく、
ただひたすらに「実践する側」として過ごす時間。
その中で、少しずつ
「指導者とは何か」という感覚が変わってきた。
私の先生が教えてくれたこと
今の先生の指導を見ていて、強く感じることがある。
それは、とにかく「観察している」ということ。
マイソールクラスという形式もあるけれど、
先生は常に生徒の練習を見ている。
ずっと何かを教えているわけではない。
むしろ、ほとんど何も言わない日もある。
けれども、
- 必要なタイミングで
- その人に合った言葉で
- 的確に軌道修正をしてくれる
そして何より印象的なのは、
答えを与えないこと。
「こうしなさい」とは言わない。
代わりに、「あなたはどう思いますか?」と問いかけてくる。
「なぜ練習しないのか?」という問い
ある時、私はずっと「できるようになりたい」と思っているポーズがあった。
けれど心のどこかで、できないと諦めていて、
「いつかできたらいいな」と思うだけで、実際には練習していなかった。
そのとき先生に言われたのが、
「なぜ練習しないんですか?」
という一言だった。
その瞬間、はっとした。
できるかどうかではなく、
練習しなければ一生できるようにならない。
とてもシンプルなことに、初めて自分で気づいた。
指導者とは「答えを与えない存在」かもしれない
この経験から、私の中で指導者の捉え方が変わった。
ヨガは、実践を通してしか深まらない。
誰かに答えを教えてもらっても、それは表面的な理解で終わってしまう。
すぐに忘れてしまう。
けれど、自分で気づいたことは違う。
時間がかかっても、確実に自分の中に残る。
だからこそ、指導者は
- 知識を与える存在ではなく
- 正解を示す存在でもなく
生徒が自分で気づくための環境をつくる存在なのではないかと思う。
何も信じてはいけない
最近、Gregor先生がブッダの言葉を引用していた。
「人から聞いたからといって信じてはいけない。
多くの人が言っているからといって信じてはいけない。
書物に書いてあるからといって信じてはいけない。
よく観察し、自分で確かめ、
それが理にかなっているとわかったときに初めて受け入れなさい。」
この言葉が、とても印象に残っている。
他人の言葉だけでなく、
自分の考えでさえも、盲信してはいけない。
常に観察し、疑い、確かめ続けること。
私が目指したい指導者のかたち
今の私にとって、指導者とは
- 生徒をよく観察し
- 必要なときに軌道修正を行い
- 答えではなく問いを渡し
- 実践を続ける勇気をそっと後押しする存在
なのだと思う。
ヨガのアーサナは、そのためのツールでしかない。
本当に大切なのは、
自分で体験し、自分で気づくこと。
そのプロセスを支えること。
それが、私が目指したい指導者のあり方だ。
まとめ
これはまだ、途中の理解だと思っている。
これから実践を続ける中で、
また考えは変わっていくかもしれない。
けれど今は、
「答えを与えないこと」こそが、指導なのかもしれない
そう感じている。