今日のサットサンガで、
「自由意志」という言葉を学んだ。
自由意志。
その言葉を聞くと、
私はどこかでこう思っていた。
好きなことをすること。
我慢しないこと。
欲望のままに生きること。
でも、それは違うらしい。
テキストが語っていた自由意志は、
まったく逆の方向を向いていた。
自由意志とは、
執着や欲望を手放した上で、
嫌なこと、やりたくないことであっても、
「今の自分の立場でなすべきこと」を
自らの意思で選択する力。
それを自由と呼んでいた。
怠けたい。
逃げたい。
今日はやめておこう。
その声は、いつも内側にある。
でも、それでもなお、
やるべきことを選ぶ。
それが自由意志。
なんだか、とても深い。
私たちはほとんどの時間を、
自由意志ではなく、執着によって動いている。
もっと欲しい。
もっと長く味わいたい。
もっと評価されたい。
もっと成功したい。
物に。
時間に。
人に。
結果に。
そして時には、
理想の自分にさえ執着する。
ヨガのポーズができないこと。
朝、思うように起きられないこと。
思った通りに成長できないこと。
そのたびに、
できない自分に執着して、
少し落ち込む。
でも今日、少しだけ理解した。
自由とは、
好きなことを増やすことではなく、
執着をひとつずつ削っていくことなのかもしれない。
私は毎日ヨガを練習している。
「やらなきゃ」ではなく、
「今日も選ぶ」と思える日が増えてきた。
それは、
誰かに強制されているわけでもなく、
外側の評価のためでもない。
ただ、今の私が選んでいる。
最近、コールドシャワーを続けている。
正直に言えば、
最初は嫌だった。
冷たいし、
めんどくさいし、
やらなくても困らない。
でも、あえて選ぶ。
「嫌だ」と思うことを、
自分の意思で選び続ける。
それは不思議と、
だんだん心地よくなる。
強制ではなく、
自分で選んでいるから。
自由とは、
快楽ではなく、規律なのかもしれない。
とはいえ、
すべての執着を手放せるのだろうか。
もっと生きたい。
家族と長くいたい。
美味しいものを味わいたい。
そういう根源的な欲求は、
死の間際まで消えないのではないか。
それでもいいのかもしれない。
全部を一気に手放すのではなく、
ひとつずつ。
今日、怠けたい心に勝てたなら。
今日、逃げずに練習できたなら。
それが、私にとっての
自由。
自由とは、
何でもできることではない。
自由とは、
やりたくないことを、
それでも自分の意思で選び続けられる力。
執着を重ねていくのではなく、
削ぎ落としていく生き方。
今日の学びを、
静かに心に置いておきたいと思う。
自由は、自分の内なる選択の中にのみ存在する。